今日は、昼にカフェ風の店を利用した。
- 昼飯を食べていなかった
- 歩いている通りに店があった
- 他にあまり店がなかった
- 時間があまりなく、ゆっくり探す事はできなかった
上記のような前提条件で、約1000円程の店にした。
正直、入り口は入り易い雰囲気ではなかったので、私はあまり入りたくはなかったが、友人が入る事を決めた。(じゃあということで、OKは私もだしたが。)
店は昼時ということもあってか、満員だった。
しかし、このカレーが1000円!!?
という物がでてきた。
そして、このケーキが500円!!?
という物がでてきた。
決して悪いものではない。でも、1000円の中身かと言われるとえーって感じ。
しかし、カフェなんてどこもそんな物だろう。
つまり、物の中身と値段は一致しなくても成り立つということだ。
それはわかっている。しかし、なぜこの仕組みが成り立つのか?
- 他に店がなかった
- 欲しい時に必要な物だった
- 元々カフェなので食事メインじゃないというのが承知されているから
カフェの利用は、雑談等がメインだろう。
だから、一杯のコーヒーで2、3時間も長居されるときもある。
そういうときは、店的には「この値段で2、3時間!!?」になるのだろう。
つまり、何らかの別の目的のために、本来は安い物が高くできる というわけだ。
また、看板の効果も気になった。
私が食事をしている最中に、ものすごい人数が店の正面を通った。
私の食事の最中は1組くらい、新規客として入って来た。
つまり、ものすごい人数が歩いていて、その看板の効果で集客できたのは1組ということになる。
しかし、それがつもりにつもって、満員になっているようだった。
その店はそんなに広くない。
せいぜい10組は入れるかどうかだろう。
つまり、私が思ったのは、大漁の人に広告を見せて、少しの人しか来ないということだ。
私には、その店が繁盛している様に見えた。(少なくとも今日は)
その繁盛の秘訣は、命中率の高い広告!ではないようだ。
質の良い食事 でもないようだ。
ただただ、大漁の通行人のように思えた。
国道沿いだから、通行人の質はバラバラだ。
だが、やはり集客の大原則は大漁の人に示してみることなのだろうと感じた。
命中率が高い物はあるが、百発百中の広告はない。
まとめ
集客の原則はなるべく大漁の人に見せる様にする。
(そうすれば、たとえ入るの微妙と思えるところでも入るような人が表れる)
かならずしもその物の質=値段でなくともよい。
本来の質ではなく、別の価値がついていれば、値段はあげる事ができる
他に選択肢がなければ、多少入りたくなくとも利用するときもある。