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イライラした時の対処法(ポジティブ&アドラー心理学でやってみた)

コンビニで睨まれた

今日コンビニで商品を買おうとして列に立った。

床には矢印が書いてあり、そこから列に並ぶ物を示唆していた。

前の人の清算が終了したので、レジの前にいった。

おつり等をカウンターからレジに片付ける操作をしながら店員は

「少々お待ちください」と言った。

すると、横から女性が睨みつけた眼をして割り込んできた。

 

よく見ると既にレジの上に2、3個積んであったおかしの追加分のようなものをもって割り込んできた。

 

私は一瞬状況が理解できず

(割り込まれたと思った)

そのままいたが、3秒後くらいに、もしかしたら前に清算を保留していた客なのかも知れないと理解した。

多少列から下がろうとしたが、後方には次の客がいたので、動けず、そのまま待っていた。

すると、会計を終えると、その女性は私を睨みつけて去っていった。

 

きっと、割り込んだと思われたんだろう。

冷静に考えると店員の対応が悪い気はしたが…

客観的に捉えると、私は店員の対応が全ての元凶だとは思う。

「精算中のお客様がおりますので、少々お待ちください」

とでも私に言えばよかったのだと思う。

 

ただ、それよりも私は、その女性と素知らぬ顔をしている店員の対応に気分が悪くなった。

 

間違えるのも無理がないと私が思う状況で、私が一方的に悪いみたいな顔をして去っていく女。

この気持ちどうにかならんのかと考えてみた

私は冷静に心の対処の仕方を考えた。

 

まず、おまえの感情と私の感情は関係ないから、私は「苛立つこと」を選択しない

 

という認知にしてみた。

アドラー心理学では全ての事は自分で選択していると考える

アドラー心理学的な解釈を使ってみたのだ。

嫌われる勇気 [ 岸見一郎 ] 第一夜 トラウマを否定せよ 人は常に変わらないという決心をしている より

あなたはご自分のことを、不幸な人間だとおっしゃる。

いますぐ変わりたいとおっしゃる。

別人に生まれ変わりたいとさえ、訴えている。

にもかかわらず変われないでいるのは、なぜなのか?

それはあなたがご自分のライフスタイルを変えないでおこうと、不断の決心をしているからなのです。

人は自分で全ての事は選択しているのだ。

だから違う選択を自分ですればいいのだというものだ。

でも、それってイライラするかも。

最初はそれでいこうと思った。

でも、これだと自分の心に蓋をしているような気がしてどうしてもしっくりこない。

嫌だな と思ったのは 嫌だなと 思いたくて思ってる訳じゃない。

このムカムカは、もし「選択」して消せるようなものならやってるよ。

(パソコンのペイントソフトのように、消しゴムで消して感情が消えるならやってる)

というのが本音である。

ポジティブ心理学では受け入れを推奨

やはり私にはポジティブ心理学がしっくりくる。

基本的には起き上がった感情をそのまま受けれいるという立場をとるものの、さらに

最善主義が道を拓く [ タル・ベン・シャハー ]P.151

受容による幸せな生活を求めはじめても心が大きくかき乱されるときが必ずあります。

…略…

物事を完璧に受け入れることができ、その結果、心を完全に安らかにできる、などというのは幻想でしかありません。

やっぱり我々は人間。

完璧な「イライラしない人生」なんてないのです。

いいじゃないの、イライラしても。

それも人生。

もっと気楽にいきましょう!?(ここまで言ってるかは定かではないですが)

 

という風に捉えるのがやはり自分にはしっくり来ます。

イライラしつつも、もっと大きな視点にたてるような気がしました。

 

 

 

人それぞれ条件は違うことを認識すると開き直れる

自分は、お客さんとコミュニケーションを取るのが苦手なのだが、最初の雑談を弾ませるのでも、かなり大変だ。

お客さんとの相性で70%くらいの要因が決まってしまう。

 

そんな折、同じ仕事をしている人の話を聞いた。

私は男性で、その人は女性なのだが、セクハラまがいのことを受けたらしい。

しかし、一応ギリギリ会話として(エロトークということで)成り立ったようだ。

 

今まで私は、コミュニケーションの技術力が高い とか 低い とかがあるのかと

思っていた。

しかし、それを聞いて思った。

見た目などでも十分コミュニケーションの要因になりうると。

つまり、相手が女性というだけで男性は喋る気になる可能性は高いかも知れないし、

相手がイケメンというだけで女性は喋る気になるかもしれない。

 

もちろんそうじゃないこともある。

あるんだけど、そういう要因の大きさを再認識した。

昨日TVで見たんだけど、芸人のタンポポの白鳥さんは彼氏いない歴が長い。

それは見た目に起因する要素も大きいだろう。

そして、男性から積極的にこられる頻度も美人と比べると少ないだろう。

 

同じことを喋っても「かわいいー」と受け取られるかも知れないし、

白鳥さんなら「アゴー」といじられるかも知れない。

 

このように、そもそも同じ事やっても相手の返しは変わって来ると言うことを認識すると

「あ、別に相手とうまくコミュニケーションできないからって、がんばんなくていいや。自分のコミュニケーション技術のせい ってだけなわけでもない」

と良い意味で開き直れるような気がした。

 

答えは自分でつかみ取るもの

ついつい、最近、英語の勉強にしても仕事にしてもうまくいかないので、

「正しい答え」が欲しいと焦っていた。

 

久々に読み返したこの本に、いいことが書いてあった。

 

嫌われる勇気 [ 岸見一郎 ] 第一夜 トラウマを否定せよ ソクラテスアドラー より

哲人 

なぜそう答えを急ぐのです?答えとは、誰かに教えてもらう物ではなく、自らの手で導きだしていくべきものです。

 

まさにそうだと思う。

野球のバント

昔、野球部にいたときにバントの仕方を教わった。

どう考えてもやりづらいし、見た目も変な構えだったがその先輩は「絶対」の権力をもっていたので、それで教えられた。

変だなとは少しは思っていたし、やりにくいなと思っていたのは間違いないが、自分は野球の素人だったので、何も疑問に思わなかった。

答えを急いでいた訳ではなかったが、やはりこれは答えではなかった。

実践では一切結果はでなかった。

その人なりの答え

もしかしたら、その先輩にはその先輩なりの紆余曲折があってそうなったのかもしれない。

ただ、感覚は人によって異なる。

1+1=2 などのように客観的に答えが一緒になるものは別として、

それ以外の、

人によって違うかも知れないと言える物は全て、その人なりの答えがあってしかるべきではないだろうか?

新人が積極的に挨拶に行かないといけない理由

大概、私は新人の立場になることが多い。

今まで、職場を転々としていたせいか、自分が上司とかベテランとかの立場で新人と会う事はほとんどといっていいほどなかった。

挨拶は新人からした方が良い

しかし、先日、自分が先輩の立場で新人と会った。

今まで思ってた通りやはり「新人から挨拶すべし」という考えに間違いはなかった。

その理由の根拠

それはこういう考えだ。

自分が新人の時に感じた事

自分が新人の立場の時は、大概自分は緊張している。

慣れない職場、慣れない人たち。

全員といちいち挨拶するのは正直めんどくさい。

だから、できれば先輩達から声をかけてくれるとありがたい。

それが本音だった。※

ただ、そうは思いつつも、自分から知らない人を見かけたら

「今日からお世話になります クタクタです!

よろしくお願いします」

と声をかけていた。

面倒だった。

でも、最初だから仕方がない。そう思っていた。

自分が先輩になって感じた事

そして逆の立場ではこう感じた。

ちゃんと自分から挨拶もしないなんて

「お世話してもらわなくったって良いってことか?」

と思ったのだ。

先日の事例

先日、職場に行くと、ちょこんと新人がいた。

ここの所、新人さんが多かったが、皆、自分から

「今日からお世話になります ●●です!

よろしくお願いします」

と言ってきていた。

 

だが、その新人さんはただ軽く会釈をしただけだった。

私は「あの人誰なんだ?」と思っていたら

ある社員から

「クタクタさん、△△さんです。」

と紹介された。

なので、私は

「クタクタです。」

△△さんに向かって言った。

 

△△さんは「よろしくお願いします」とも何も言わず、また、ただ軽く会釈をしただけだった。

 

・自分から挨拶もしない。

・よろしくお願いしますも何も言わない。

 

ということは△△さんは私とうまくやっていこうという気がない?

   ↓
「お世話してもらわなくったって良いってことか?」

 

と感じてしまったのだ。

 

当然、理屈的にはそれを直接つなげるのはやや無理がある。

「お世話してもらわなくったって良い」と直接言われた訳でもないし、軽いお辞儀が「よろしく」にその新人さん的には相当したのかもしれないし。

挨拶をしとかなくて損するのは新人ではないのか?

でも、大概先輩は新人なんていてもいなくても困らない訳です。

逆に新人は先輩に助けてもらいたい時がある訳です。

だからこそ、「ご迷惑かけるかもしれないけど、よろしくね」

の意味を込めて

自分から挨拶すべきなんじゃないのだろうか?

 

と感じた。

そんな面倒なことでもないのでは?と考えが変わった

そう感じる事によって、私が新人の立場の時の、

面倒だった。

でも、最初だから仕方がない。そう思っていた。

という気持ちは、その利点を考えるとそこまで面倒なことでもないかも。と考えが変わった。

新人の自分に対して「仲良くしてね。困ったとき助けてね」

ということを表明しているわけだから、必要だよなと思った。

第一印象は大事だと感じる

第一印象が悪いと、雑談する気も起きなくなる。

新人⇄先輩 お互い寄り添うべきかもしれないけど、先輩風を吹かせるつもりはないけど、立場的に新人からすべきだし、それが新人自身のためにもなることだと思った。

 

注釈

全員といちいち挨拶するのは正直めんどくさい。

だから、できれば先輩達から声をかけてくれるとありがたい。

それが本音だった。

ただし、上記に関しては、もちろん先輩達からも声をかけるのが親切な対応だとは私も思う。

(新人が緊張しているのは当然のことなので、緊張していない先輩からアクションしてあげるのは、やはり親切なことだとは思う。)

 

しかし、それは事前に「新人が来る」とわかってる場合だと思う。

今の職場は、新人が来る事を知らされないので、突然知らない人がいるという状況になる。

(制服でも来ていれば、まだいいが、制服などは特にないので。)

 

勿論、もし1対1でばったり会うのならば、「新人さんですか?」と聞くかも知れないが(部外者が部屋にいないかどうか確認する意味もあるので)、他の人もいる状況なら、「誰?」と感じてしまう。

やはり、新人の側から挨拶するのが良いのではないだろうか。 

 

失敗した時のベストな捉え方

時折、マンガからもいいなと思う考え方があります。

 

ジャンプ2015/14 ワールドトリガー 第94話「空閑遊真11」より

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派手にまけたらしいな

修が心配してたぞ

おまえがへこんでるんじゃないかって

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遊真「オサムが?あいかわらず面倒見の鬼だな」

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遊真「おれはべつにへこんでないよ

みんなも同じ様に鍛えてるのはわかってる

全部が全部勝てるとはかぎらない

でもだから強い人と勝負するのはおもしろい」

これは設定として、それまで最強くらいの扱いを受けていた遊真が、闘いに負けてしまった後の話です。

 

本当に強い人というのはこうであるのかなと思わせる場面でした。

 

この考え方はポジティブ心理学では

「最善主義」にあたると思います。

 

最善主義が道を拓く [ タル・ベン・シャハー ]P.152

もう少し自分に寛容になり、失敗も成功も充実した人生の一部と考え、恐怖も嫉妬も怒りも、ときには自分を受け入れないということも、まさに人間的なことなのだと認めようではありませんか。

 

さらに遊真はこう思えてるんだと思います。

これは大事な事だと思います。

 

マンガで学ぶ心屋仁之助の「非常識」でコミュニケーションはラクになる P.132

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失敗した時もこのように考えられると良いですね。