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やる気を見せなきゃがっかりされる時。〜そこは嘘でもやる気みせなきゃ〜

先日の事。

できない同僚が一人いました。

お客さんからはクレームばかり。

でも、本人は人間的には悪い人じゃない。どちらかと言えばいい人だと思います。

 

そんなある日、彼を私が担当して研修することになりました。

「仕方ない。本人がやるっていうなら引き受けますよ。」

といって、本人から「お願いします。」と言われて始めました。

 

技術的な事は練習が必要です。

ある日、私が「もし良ければ、今日はもう上がって練習していこうか?」

と彼に告げました。

 

彼は「いや、もう少しここに残ります。」

と言いました。

 

上がってしまうと報酬が減ってしまう可能性があるため、彼はもう少し残りたい と言ったのでしょう。

 

。。。。。

 

でも、研修付き合ってくれる人が練習しない?って言ってるのに「しない」って選択あるのかねぇ?

 

本来「練習させてください!」と言われるのが筋なところを、折角練習してあげる とこっちがやる気になったのに、それが否定されるのは 私のやる気を削がれたとしか感じなかったのです。

 

正直、その彼は現場に出ては行けないレベルの技術力なので、「練習」は必須です。

きっと、彼はそこに自覚がないのでその発言になるのだと思いますが、正直、私はがっかりしてしまいました。

 

私は彼の利益を思って告げたのですが、彼は彼の利益の事しか考えていないようでした。だからがっかりなのです。

 

私は常々、他人は水辺に連れて行くことしかできないと考えています。

この下記の本から「そうだそうだ」と思ったので自分の考えに取り入れました。

嫌われる勇気 [ 岸見一郎 ] 第三夜他者の課題を切り捨てる より(Kindle版のためページ数不明)

ある国に「馬を水辺に連れて行くことはできるが、水を飲ませることはできない」ということわざがあります。

アドラー心理学におけるカウンセリング、また他者への援助全般もそういうスタンスだと考えてください。

本人の意向を無視して「変わること」を強要したところで、あとで強烈な反動がやってくるだけです。

「あとで強烈な反動がやってくるよりかはましか」

と再度この文章を読んで無理矢理納得してみました。

イライラした時の対処法(ポジティブ&アドラー心理学でやってみた)

コンビニで睨まれた

今日コンビニで商品を買おうとして列に立った。

床には矢印が書いてあり、そこから列に並ぶ物を示唆していた。

前の人の清算が終了したので、レジの前にいった。

おつり等をカウンターからレジに片付ける操作をしながら店員は

「少々お待ちください」と言った。

すると、横から女性が睨みつけた眼をして割り込んできた。

 

よく見ると既にレジの上に2、3個積んであったおかしの追加分のようなものをもって割り込んできた。

 

私は一瞬状況が理解できず

(割り込まれたと思った)

そのままいたが、3秒後くらいに、もしかしたら前に清算を保留していた客なのかも知れないと理解した。

多少列から下がろうとしたが、後方には次の客がいたので、動けず、そのまま待っていた。

すると、会計を終えると、その女性は私を睨みつけて去っていった。

 

きっと、割り込んだと思われたんだろう。

冷静に考えると店員の対応が悪い気はしたが…

客観的に捉えると、私は店員の対応が全ての元凶だとは思う。

「精算中のお客様がおりますので、少々お待ちください」

とでも私に言えばよかったのだと思う。

 

ただ、それよりも私は、その女性と素知らぬ顔をしている店員の対応に気分が悪くなった。

 

間違えるのも無理がないと私が思う状況で、私が一方的に悪いみたいな顔をして去っていく女。

この気持ちどうにかならんのかと考えてみた

私は冷静に心の対処の仕方を考えた。

 

まず、おまえの感情と私の感情は関係ないから、私は「苛立つこと」を選択しない

 

という認知にしてみた。

アドラー心理学では全ての事は自分で選択していると考える

アドラー心理学的な解釈を使ってみたのだ。

嫌われる勇気 [ 岸見一郎 ] 第一夜 トラウマを否定せよ 人は常に変わらないという決心をしている より

あなたはご自分のことを、不幸な人間だとおっしゃる。

いますぐ変わりたいとおっしゃる。

別人に生まれ変わりたいとさえ、訴えている。

にもかかわらず変われないでいるのは、なぜなのか?

それはあなたがご自分のライフスタイルを変えないでおこうと、不断の決心をしているからなのです。

人は自分で全ての事は選択しているのだ。

だから違う選択を自分ですればいいのだというものだ。

でも、それってイライラするかも。

最初はそれでいこうと思った。

でも、これだと自分の心に蓋をしているような気がしてどうしてもしっくりこない。

嫌だな と思ったのは 嫌だなと 思いたくて思ってる訳じゃない。

このムカムカは、もし「選択」して消せるようなものならやってるよ。

(パソコンのペイントソフトのように、消しゴムで消して感情が消えるならやってる)

というのが本音である。

ポジティブ心理学では受け入れを推奨

やはり私にはポジティブ心理学がしっくりくる。

基本的には起き上がった感情をそのまま受けれいるという立場をとるものの、さらに

最善主義が道を拓く [ タル・ベン・シャハー ]P.151

受容による幸せな生活を求めはじめても心が大きくかき乱されるときが必ずあります。

…略…

物事を完璧に受け入れることができ、その結果、心を完全に安らかにできる、などというのは幻想でしかありません。

やっぱり我々は人間。

完璧な「イライラしない人生」なんてないのです。

いいじゃないの、イライラしても。

それも人生。

もっと気楽にいきましょう!?(ここまで言ってるかは定かではないですが)

 

という風に捉えるのがやはり自分にはしっくり来ます。

イライラしつつも、もっと大きな視点にたてるような気がしました。

 

 

 

答えは自分でつかみ取るもの

ついつい、最近、英語の勉強にしても仕事にしてもうまくいかないので、

「正しい答え」が欲しいと焦っていた。

 

久々に読み返したこの本に、いいことが書いてあった。

 

嫌われる勇気 [ 岸見一郎 ] 第一夜 トラウマを否定せよ ソクラテスアドラー より

哲人 

なぜそう答えを急ぐのです?答えとは、誰かに教えてもらう物ではなく、自らの手で導きだしていくべきものです。

 

まさにそうだと思う。

野球のバント

昔、野球部にいたときにバントの仕方を教わった。

どう考えてもやりづらいし、見た目も変な構えだったがその先輩は「絶対」の権力をもっていたので、それで教えられた。

変だなとは少しは思っていたし、やりにくいなと思っていたのは間違いないが、自分は野球の素人だったので、何も疑問に思わなかった。

答えを急いでいた訳ではなかったが、やはりこれは答えではなかった。

実践では一切結果はでなかった。

その人なりの答え

もしかしたら、その先輩にはその先輩なりの紆余曲折があってそうなったのかもしれない。

ただ、感覚は人によって異なる。

1+1=2 などのように客観的に答えが一緒になるものは別として、

それ以外の、

人によって違うかも知れないと言える物は全て、その人なりの答えがあってしかるべきではないだろうか?