不幸も幸せの一部である理由(普通が幸せという考えは違うのでは?)

体調不良になるといつも、普通が幸せなんだなと実感する

体調不良になって思うのですが、

健康なことって、こんなに良いことなんだな と改めて気づきます。

普通に行動できること、それって普通じゃないんだなと。

そういう体験をすると、この言葉が響きます。

 

3秒でハッピーになる名言セラピー [ ひすい こたろう ]P.25

「なにも起きないことがどれほどしあわせであるか、ということにわたしたちはなかなか気がつかないのです。」

ほんとうにそうか?不幸じゃないことは幸せと言い切れるのか?

だけれども、それって、ほんとうでしょうか?

幸せは「不幸じゃない」と思うことでしょうか?それとも「ほんわか幸せ気分に浸るここと」でしょうか?

 幸せとは:哲学では

哲学ではこのように定義しています。

 

男のための自分探し [ 伊藤健太郎 ]P.17

「その『一般的な幸せ』とは何か?」と聞かれるかもしれませんので、「あなたが『幸せ』と呼んでいるもの」と答えておきます。

「幸せ」という言葉が何を指すか、知らない人はないでしょう。

あの「ほんわか気分」のことです。

これでは定義になりませんが、定義することなど不可能ですから、先に進みます。

幸せとは:ポジティブ心理学では

ポジティブ心理学ではこうです。

 

Happier [ タル・ベン・シャハー ]P.67

私は幸せを、「喜びと意義の同時体験」と定義するに至りました。

「喜び」はまさに「現在の利益」であり、私たちは、「未来の利益」をもたらしてくれる目標や活動に「意義」を見いだします。

…略…

そして、意義と喜びの双方をもたらしてくれる体験は、それ自体が幸せな体験である

 つまり、幸せ気分にならないことは幸せとは言えない

ようするに、ほんわか気分にならないといけないわけです。

体調不良の人は体調不良じゃなくなった瞬間はほんわか気分かもしれませんが、健康状態が長くつづくことにほんわか気分にはならないと思います。

 

また、体調不良の人が健康になることは「現在の利益(例:腹痛が収まる等)」と「未来の利益(色々行動できる等)」をもたらしますが、 一度健康になってしまえば、すくなくとも「現在の利益」はなくなってしまうわけです。

幸せと不幸でないとは分けて考えた方が良い 

3秒でハッピーになる名言セラピー [ ひすい こたろう ]P.25

「なにも起きないことがどれほどしあわせであるか、ということにわたしたちはなかなか気がつかないのです。」

要するに、上記に関して「何もおきないこと」は「幸せ」なのではなく、「不幸せでない」状態にすぎないのだと私は思えます。

(もちろん、何も起きないことが良いことだと気づくこと自体は良いことだと思えます。)

 「普通」の状態で幸せを感じるのはやっぱり難しいことだと思う

でもやっぱり人間は幸せになりたくて生きていると思うのです。

もし、「普通が幸せ」と言ってしまうと、それ以上なにも行動を起こさなくなってしまう気がします。

また、普通で幸せを感じることそのものは難しいと思われます。

(なぜなら、現在の利益を感じづらく、なによりほんわか気分にならないから)

不幸なことも幸福になるための人生の一部として捉える

ゆるく考えよう [ ちきりん ]P.27

人生には、悲しいこともつらいこともあって当然です。だからこそ一方で、うれしくて楽しいことも起こりえるのです。

いいにしろ悪いにしろ感情を大きく揺さぶることが何もない人生なんて全くつまらない。泣いたり笑ったり、怒ったり喜んだり、感情豊かに生きていきたい。

ということで、不幸なことも幸福になるための人生の一部として捉えるのがいいんじゃないかと思う。

そして、幸福になるための活動と不幸にならないための活動をわけて実行するといいんじゃないかと思う。

婚活で例えるなら

例えば婚活ならこんな感じで。

・相手の年収:不幸にならないための要素

・相手の人柄:幸福になるための要素

年収ある人と結婚すれば「不幸」にはならないかもしれないが、楽しくない人生になるかもしれない。

一方気の会う人と結婚すれば不幸に感じる要素もあるが、楽しく過ごせる時間もある可能性ができる。

不幸にならない要素を追求しても幸福になれるかは別。分けて考えるべし。

両方あれば最高だが、一番思うのは「不幸にならないための要素」を追求していっても「幸福になれるかどうかは別」ということ。

そして、「幸福になれる要素」を追求していけば「不幸になる要素はあるけれども、幸福」という状態もありえるんじゃないかということ。

(お金がなくても楽しく過ごせる夫婦はいるかもしれないが、お金だけあって、夫婦がすれ違っているというのは楽しくないかもしれない。)