舐められない事の大事さ

今の職場は、会社を舐めている人で溢れている。

「怒られない」と思っていると、常識では考えられないことを突きつけて来る。

「今日は用事があるので、休みにさせてください。」

「今日はもうこれやったら上がります。(まだ就労時間内なのに)」

 

私は、人に厳しく当たっても、その人のためにはならないと思っていた。

 

しかし、人に甘く接すると、規律が生まれないという現実を体感した。

 

これは、野球でも同じだった。

ふと、見ていた野球の試合で、一度盗塁を許した。

 

すると、相手チームは「このキャッチャーは肩が弱いぞ」

と思ったのだろうか。

 

3人連続して出塁して、3人連続盗塁をしてきた。

(1人に対しては盗塁を阻止したが。)

 

これは、人生でも全く同じだろう。

「一度おごってくれたのだから、次からもおごってくれる。」

「この人は文句言わないから、確認とらなくていいや。」

 

私だって有る。

「親が片付けてくれるから、皿洗わないで出しとけば良いや。」

 

結局、それは「環境」ということだろう。

そりゃ、何も言われないのなら、自然の流れで言うならば「無理のない」話だろう。

ただ、マナー、モラル、と言う観点からすると、それは良い事といえるのだろうか。

 

警察が、横断歩道を渡るのをみて「赤信号ですよ」といちいち小さい事を指摘して来る。

 

しかし、もし、全ての警官があそこで注意しなかったら私なら

「別に警察も何も言わないから、無視しちゃえ」

見たいな感じになるだろう。

 

怒ったり指摘することが、

本当の意味で「本人のためになる」注意になるかどうかはわからない。

しかし、規律を生み出す、秩序を維持する という観点からすれば、

最初に舐められないということはものすごく必要だと思う。

 

それを今迄の経験でなんとなく感じていた事が

野球の試合を見ていて、「そうだよね。きっと舐めてるから、盗塁しまくっちゃうよね。」とすごく実感した。