ついつい、最近、英語の勉強にしても仕事にしてもうまくいかないので、
「正しい答え」が欲しいと焦っていた。
久々に読み返したこの本に、いいことが書いてあった。
嫌われる勇気 [ 岸見一郎 ] 第一夜 トラウマを否定せよ ソクラテスとアドラー より
哲人
なぜそう答えを急ぐのです?答えとは、誰かに教えてもらう物ではなく、自らの手で導きだしていくべきものです。
まさにそうだと思う。
野球のバント
昔、野球部にいたときにバントの仕方を教わった。
どう考えてもやりづらいし、見た目も変な構えだったがその先輩は「絶対」の権力をもっていたので、それで教えられた。
変だなとは少しは思っていたし、やりにくいなと思っていたのは間違いないが、自分は野球の素人だったので、何も疑問に思わなかった。
答えを急いでいた訳ではなかったが、やはりこれは答えではなかった。
実践では一切結果はでなかった。
その人なりの答え
もしかしたら、その先輩にはその先輩なりの紆余曲折があってそうなったのかもしれない。
ただ、感覚は人によって異なる。
1+1=2 などのように客観的に答えが一緒になるものは別として、
それ以外の、
人によって違うかも知れないと言える物は全て、その人なりの答えがあってしかるべきではないだろうか?