先日の事。
できない同僚が一人いました。
お客さんからはクレームばかり。
でも、本人は人間的には悪い人じゃない。どちらかと言えばいい人だと思います。
そんなある日、彼を私が担当して研修することになりました。
「仕方ない。本人がやるっていうなら引き受けますよ。」
といって、本人から「お願いします。」と言われて始めました。
技術的な事は練習が必要です。
ある日、私が「もし良ければ、今日はもう上がって練習していこうか?」
と彼に告げました。
彼は「いや、もう少しここに残ります。」
と言いました。
上がってしまうと報酬が減ってしまう可能性があるため、彼はもう少し残りたい と言ったのでしょう。
。。。。。
でも、研修付き合ってくれる人が練習しない?って言ってるのに「しない」って選択あるのかねぇ?
本来「練習させてください!」と言われるのが筋なところを、折角練習してあげる とこっちがやる気になったのに、それが否定されるのは 私のやる気を削がれたとしか感じなかったのです。
正直、その彼は現場に出ては行けないレベルの技術力なので、「練習」は必須です。
きっと、彼はそこに自覚がないのでその発言になるのだと思いますが、正直、私はがっかりしてしまいました。
私は彼の利益を思って告げたのですが、彼は彼の利益の事しか考えていないようでした。だからがっかりなのです。
私は常々、他人は水辺に連れて行くことしかできないと考えています。
この下記の本から「そうだそうだ」と思ったので自分の考えに取り入れました。
嫌われる勇気 [ 岸見一郎 ] 第三夜他者の課題を切り捨てる より(Kindle版のためページ数不明)
ある国に「馬を水辺に連れて行くことはできるが、水を飲ませることはできない」ということわざがあります。
アドラー心理学におけるカウンセリング、また他者への援助全般もそういうスタンスだと考えてください。
本人の意向を無視して「変わること」を強要したところで、あとで強烈な反動がやってくるだけです。
「あとで強烈な反動がやってくるよりかはましか」
と再度この文章を読んで無理矢理納得してみました。